個人の喪失を善しとするか否か。   その2

↓個人の喪失を善しとするか否か。   その1
http://d.hatena.ne.jp/John4270/20100415/1271345388



さらにここへ追い打ちをかけてくるものがあります。
それは、「メディアの単一化」です。
社会の基盤である人間の数は増えていくのですが、そこへ“情報”を流し込むメディアが単一化しているため、個性の喪失を助長する結果となっているのです。それは、新聞に始まり、ラジオ、テレビと技術進歩とともに姿を変え、ついに“Web”という圧倒的な形態へと進化しました。現在では、Webの登場によりテレビなどのマスメディアは完全に力を失い、細分化の流れにあるとは思いますが、これも伝達可能な情報の絶対量自体が増えたことにより受け手側の容量の関係で受け手による選択が行われているために生じた細分化であって、決してここから個性を生み出しうるものではないと僕は考えます。

むしろ、Webがもたらした情報の伝播速度の無限大化によって、個が手にする情報量および情報の伝播域を飛躍的に拡大したことを評価するのが妥当でしょう。21世紀初頭から始まったWeb2.0の潮流、そして現在のPost-Web2.0の時代を“第三次産業革命“として捉えようという動きもあります。それも、あながち大袈裟ではないかもしれないと感じるようになりました。ド偉い時代に生まれたもんだと想いますが、嘆いてばかりいても仕方がないので、“産業革命“後の社会構造としっかり向き合う準備が必要です。そして、その“産業革命後の社会構造“のひとつが『個性の喪失と個の確立』だと考えているのです。