原発事故での技術者の責任

レポート課題を貼ってみる...

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 私が技術者倫理という授業全体を通して抱いた大きな違和感に,“倫理観”と“責任”という2つの事象が比較対象として天秤に掛けられることが挙げられる.というのも,“責任”という具体的な非難の所在を議論するには“倫理観”とはあまりに抽象的すぎる気がするのだ.やはり,“責任”と対するのは“権利”であるべきだと私は考える.当然ながら,そのような権利を施行する人間が技術者であること,技術者としての倫理観に基づいた動機からくる権利の施行であることは大前提である.しかし,そのような権利を有しない技術者に対して責任という言葉で非を問うことに抵抗がある.理想論かも知れないが,このような考えをもとに,今回の福島原発事故と技術者の在り方についてまとめたいと思う.

原発が抱えていた問題点と技術者が果たすべきだった役割
 今回の事故が発生する以前の,東電と原子力発電所とが抱えていた問題点のひとつに,“原子力”という非常にリスクを内包する技術を扱っていたにも関わらず,“故障・ミスはおこるもの”という工学では常識的な想定がなされていなかった点が挙げられる.そのため,事故後の東電の対応などには明らかに不備があり準備不足の感が否めない.そのような想定が成せれた上で議論することで初めて,故障のリスクを評価できるものと考える.
 では,なぜ東電にはその想定が出来なかったのか.その大きな要因のひとつに,東京電力が“技術”を売り物とする企業になり得ていなかったことが挙げられるだろう.89年から22年間,理系出身者がトップになることはなかったのもそのことを示すに十分な事実である.扱う対象が国力や国防にも繋がるようなものである以上,政治的干渉が入ることは避けられないだろうし,そのためこのような文官体質となってしまったというのも理解できなくはない.しかし,技術によって生産活動を行っていれば当然ウェートは(安全対策も含めて)技術開発へとシフトして行くだろうし,技術者の地位も向上しているはずだ.事実,近年の技術系企業では技術者が幹部を構成する企業が増えてきている.では,東電がそのように変革してこなかった理由はどこにあるのか.もちろん,そのようになる必要が生じなかったから,すなわち,潰れる心配がなかったからであろう.
ここで,東電の抱える大きな問題点が浮上してくる.それは「非常に閉じたシステムの中で成立していた」という点だ.「原子力は技術革新のスピードが非常に遅く市場自体のスピードが遅い」といった指摘もされており,たしかに東電が変革できなかった一因と言えそうだが,それよりもこの「閉じたシステム」という点に大きな問題があるのではないかと考えている.得てして「閉じたシステム」は怠惰を生み腐敗する.東電もその一例と言われても仕方が無いだろう.外部からは問題点を把握し難いし,内部からは問題提起が起きづらい.それが閉じたシステムの特性である.
ではそのような体質の中にあって,技術者が果たすべきであった役割とは一体何であったのだろうか.それは,“枠組みの外側”へ向けて問題を発信していくことだろう.だが,“枠組みの外側”にそれを受信しフィードバックできるだけの存在が居なかったこともまた事実である.実際,原発技術者のなかにも問題点を指摘したが受け入れられずに企業を去り,原発反対運動に従事されていた方も居たにもかかわらず,その声は届かなかったのである.
以上より,福島原発事故において技術者が果たすべきだった役割には,以下の2点があげられる.1つは「内部の技術者は積極的に“枠組みの外側”へ向けた情報発信を行うこと」,もう1つは「外部の技術者がしっかりのそれらを受信し,適切な形でフィードバックすること」である.

 これからの原発と技術者
上記の内容を踏まえて,これからの原子力発電所の在り方と技術者が担うべき役割と責任について考えたい.
まずは,閉じたシステムからの脱却である.インフラ事業であるため安易な市場競争を行うことは良くないだろうが,それでも,ある程度の競争原理は必要だと私は考える.企業内での技術への優先度の変化や技術者の地位の向上といったものは,市場競争のなかで自然と起こりうるものだと考えるからだ.送電インフラはともかく,発電システムに関してはより競争原理を持った市場に身を置くことで技術革新も進み工学的安全への考え方も変わっていくのではないだろうか.ただし,競争原理は時に安全管理への投資を抑止する恐れがある.その点については閉じたシステムから独立した第3者機関の干渉が必要不可欠であるだろうし,そのような機関を担う技術者には高い倫理観が要求されるだろう.
つづいて,技術者の担うべき役割であるが,やはり,組織の内部において権利を手にすることだと考える.自らが創り出した技術が社会に対してどのような利益をもたらし,同時にどのような代償をもたらすのか,また,その恐れがあるのか,そのことを最も明確に理解していなくてはならないのは技術者自身であり,それらに対して責任を持つ立場にあるのも技術者であるべきだろう.技術者は,科学と社会に対する触媒であると同時に抑止剤の役割も果たさなくてはならない.しかし,そのための力を手にできていないのが現状である.技術者がしっかりと自らの倫理観に乗っ取り責任を果たすためにも,社会的な権利の獲得が重要では無いだろうか.
さらに,今回の原発事故のようなケースにおいては,いかにして下層の技術者の意見を吸い上げるのかといったことも考えなくてはならない.このための案として,ひとりの技術者が認知した問題を,技術者全体の問題として共有できるようなシステムの構築が挙げられる.そのためには,企業間での積極的な交流や関連企業の技術者で構成される第3者機関の存在などが必要ではないだろうか.
 まとめ
 今回の福島原発事故は,組織の体質という点に非常に大きな問題があったと考える.しかし,そのような体質のなかにも確実に存在する倫理観に基づく行動を吸い上げることのできる枠組み作りが,技術者全体にとって必要なのではないだろうか.
福島原発事故を契機として,技術者が技術に対してしっかりと責任を持ち,さらにその責任を果たせるだけの社会的権利を手にするために,今後,我々技術者が社会システムにおいてどのような役割を演じるべきなのか,今一度よく考えなくてはならないと感じた.